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社長室より 日々の言葉

君子は器ならず

日経新聞の記事の中で、帝国ホテル会長の小林てつやさんが書いていました。この方の「リーダーの本棚」という欄にあるんですが、この方結構読書の好きな方なのです。慶応大学法学部を出たんですが、高校時代、吉川英治の小説『親鸞』を読んだそうです。家が浄土真宗で、その開祖親鸞を読んだところ、「人間的な生き方」に非常に強い印象を受けた。僧侶だけども奥さんも娶ったそうですね。小林さんは徹夜で読んで翌日の野球部の朝練をサボったと、書いてあります。野球やって、朝練に出ないと仲間に加えてもらえないだろうけども、あまりにも面白くて徹夜して朝練サボったというのが印象的です。

 

次に山本周五郎が好きで、『長い坂』というのを読んだ。そこに「無私の愛」というのがありました。無私の愛に非常に教えられた。そして座右の書は菊池寛の『入れ札』という本だそうです。国定忠治が逃げていくときに、十一人の家来の中でみんなと分かれて三人だけ連れて行く、それで誰を忠治親分に着けたらよいだろうかと。みんなで投票してあいつを連れて行けばよい、いやこいつだと投票するんです。で、人気のない男が「自分の名前」を書いたそうです。案の定、自分の入れた一票しか入らなくて落選した。八人が散り散りになって三人が忠治に着いていくことになったんですが、その八人の内、いつも腹立つ男だなと思っていた男が、この人気のない男にすり寄ってきて、「兄イの名前を書いたのはこの俺だ」と。その嘘に腹が立って、切ってやろうと思った(笑)。ところが、もっと恥ずかしいことをした自分に情けなくて、思いとどまったと。そういう小説なんです。それに非常に感動して何回も読んだ(笑)。

 

僕はこの小林さんという人柄がなんだか分かる気がします。

 

就職の際、人間が好きで、人との関わりの多い仕事に就きたくて、ホテルマンになった。慶応大学を出てから、客室の清掃から始める。いきなり事務に行くのではなくて。清掃から始まって、東京総支配人、社長、会長と、今日に至っていると。人の上に立って仕事をする人ですね。そういう人は、知識や技術に一流だというだけでは、ダメなんですね。深く豊かな人間理解が必要だ。この人は、人間の弱さとか、愛する「無私の心」とか深く理解して、総支配人から会長になったと思いますね。

 

忘れられない論語の言葉に「君子、器ならず」というのがある。どういうことかというと、器というのは水を入れる容器、「道具」なんです。君子は道具ではない、ということです。道具とは、技術者とか、知識人です。君子とは、技術も人並み、知識も抜群ではない。でも抜群の人を使って大きな仕事をするのを、君子と言う。やはり人の上に立つためには、何かに頭抜けていなくていいから、いろんなことを経験して理解して、その上でプロフェッショナルを上手に活かして大きな仕事にまとめていく。

 

小林さんは君子だと思う。掃除から始めていろんな仕事を回って、そして最後はとうとう帝国ホテルをまとめるという、そこにうちのあきおが行ったのです。縁があって素晴らしいホテルでおばさんにとてもかわいがられた訳です。

 

私たちもやがて皆さん、多くの人を使って上に立って働くようになると思いますが、いつまでも器であるだけでは、全体をまとめることはできないのです。皆さんもたくさん人を使って部署を任せられる時が来ると思いますが、その時には「君子」であってほしい。知識や技術は、なかなか素晴らしいものがあるけれども、人の心が読めないようでは、全体をまとめることはできません。

 

彼は一生懸命、本を読んだようです。小説もバカにできません。「たかが小説」と、思うかもしれませんが、作家は人間というものをよく理解しようと思って、作品にまとめているわけです。もし時間があれば是非、良い本をたくさん読んで頂きたいと思います。

2016年2月15日

代表取締役 水谷幹夫

1948年、大阪府に生まれる。北海道大学文学部国文科卒業後、22年間、高等学校で国語科の教諭として勤務し、角川書店の教科書作りに参加する。その間、少年院での作文教育や、老人ホームでのボランティア活動で札幌市の表彰を受ける。小樽市塩谷にある社会福祉法人「塩谷福祉会」(精神障害者社会復帰施設)の理事を務める。

1981年、結婚して間もなくキリスト教の家庭集会を始める(現在の札幌キリスト召団)。

1996年、高校を退職し、余市の農園の入植して人生に行き詰った人達のための再生の港「惠泉塾」を開き、卒塾生の職業訓練の為に株式会社ヴィタポートを設立し、現在に至る。