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社長室より 日々の言葉

教育は治療である

1 仕事場は教室であり、職場は人を育てる

 

悪い職場は人を使い捨てにする。職場で人が育つためには、上司が部下に対して仕事だけでなく、生き方も教える必要がある。率先垂範、こうやって仕事するんだよ、人間関係はこうやって作るんだよ、と上司が模範を示して部下に教える。すると、部下はその上司の下で働いて良かった、その人によって私は育てられた、という感想を上司と別れる時に持つ。そしてまた違う部署に移って行く。

ところが、悪い職場はその人の持っているものを使い捨てて磨滅させる。カスカスになってから次の持ち場に行かせるので、もう使い道がない。潤いがなくなるのである。与えないで奪うばかり…実際こういう職場もある。この人はコンピューターができる、そろばんができる、英語ができると、できるところを使うが、その人を育てようとしない。そういうところで働いた人は疲れ切って、職場を辞める。

Tさんはまだ若いが、そろそろ銀行の支店長になるところまできた。非常に有能な人だが、「私はもうカスカスです。限界です」と言っている。それは銀行が彼女を使うだけで、育てないからだ。与えるよりも奪うことに忙しい。ついに彼女が学校時代に積み上げたものは職場で全部吐き出された。それでもまだ絞ろうとしている。「もう辞めなさい」と私は言った。「そうしようかな」と彼女も言う。銀行は人を育てようとせず、使い尽くそうとしている。

これは日本の多くの企業のもつ体質である。上司の言葉かけや眼差し一つで、人は死んだり生きたりする。ところが、上司はそういうことをあまり考えていない。部下のペースではなく上司自身のペースで仕事をさせる。仕事がうまくいきさえすればいい。だが、働く者にとってはそうではない。いい職場とは、続々と人が育って後継者が生まれるところだ。皆さんの持ち場で後輩は育ったか? 後継者が自然と生い育つような職場でなければならない。

 

2 教室は心の治療の場にもなる

 

大江健三郎が「文学は治療だ」と言った。最初は聞いてびっくりした。あの人の子どもに障害者がいる。それで彼は自分の文学が治療効果をもつよう、志を立てた。正しい知識は人の生き方を整え直す。多くの場合、人に正しい知識がない。間違った知識は人の心を混乱させる。畏るべきお方を畏れる。恐れる必要のないものに恐れを抱かない。大胆に出るところは大胆に、しかし、慎重にしなければならないところは慎重に。それは正しい知識によるのだ。

正しい考え方が人を自由にする。欲の奴隷状態から解放されると、偉くならなくてもいい、富み栄えなくてもいい、賢くならなくてもいい、強くならなくてもいい、ということが分かる。正しい考え方を持たないと、強くあらねば、偉くならねば、富み栄え、賢くならねば、と無駄な労苦をする。私は二十歳まで真正直にそんな世間の常識を信じてきたが、大変無駄なことをしてきたと二十歳で気付き、そういう労苦はやめた。

愛は必要のすべてを満たす。隣人を愛しその必要を満たすとき、人は私の必要に気づき、満たしてあげたいと願う。だから愛がすべてであり、愛なしに偉くなっても強くなっても仕方がない。そんなことで私たちの心は満足しない。だから、正しい考え方、神に基づく考え方が分かると、無駄な労苦はしない。的確な苦労をする。それは神の指導の下、神の命令に服する努力である。

 

3 惠泉塾は仕事場であり、教室であり、治療の場である

 

 以上述べた考えに基づいて今日一日を送ってほしい。私たち一人ひとりは社長であり、先生であり、医者でもある。同時に従業員であり、生徒であり、患者でもある。お互いが相手の必要を補い合う存在であるから、私たちは完璧である必要はない。今のままの私でも、多くの人がそれを補おうとしてくれる。他者を補おうとする時、私たちは成長する。ああしてあげたい、こうしてあげたいと思うが、できない、その足らざるを神に訴える。すると、神が豊かに祝福してくださり、相手の欠けを補うことのできる者へと私たちを成長させてくださる。自分を大きくする努力ではなく、相手の必要を満たそうとする努力の内に、私たちは育つのである。

 

2014年6月25日

代表取締役 水谷幹夫

1948年、大阪府に生まれる。北海道大学文学部国文科卒業後、22年間、高等学校で国語科の教諭として勤務し、角川書店の教科書作りに参加する。その間、少年院での作文教育や、老人ホームでのボランティア活動で札幌市の表彰を受ける。小樽市塩谷にある社会福祉法人「塩谷福祉会」(精神障害者社会復帰施設)の理事を務める。

1981年、結婚して間もなくキリスト教の家庭集会を始める(現在の札幌キリスト召団)。

1996年、高校を退職し、余市の農園の入植して人生に行き詰った人達のための再生の港「惠泉塾」を開き、卒塾生の職業訓練の為に株式会社ヴィタポートを設立し、現在に至る。